2019年に発売された、神林長平作「先をゆくもの達」ネタバレありレビュー/感想、考察。
※これは、noteで2021/3/21に公開した記事に加筆、修正したものです。
目次
神林長平、火星に回帰。
そんな煽りを見て読み始めたのだが、セルフオマージュというか、散りばめられた小物が過去作品を彷彿とさせるつくりでそれだけで楽しい。
タムはまさにPABだし、火星で自転車を駆る姿は魂の駆動体を思わせる。得体の知れない侵略者である火星原生生物はジャムに通じるものがあり、器の変容と魂のかかわりはまさに火星三部作のテーマのひとつではなかったか。
一方で、私の印象では、この物語はホラーだった。
形態が変わっても、その魂は同じなのだろうか? 人が人であるままに、他の星を目指すことはできなかったのだろうか? 機械知性の意識と人間の意識のズレは、解消されたのだろうか?
人類が納得したかどうかは関係なく、全てはトーチと、自分勝手なコマチの思惑通りに進んだような気がしてならない。それが正しい未来だとしても、私のような一地球人には、その選択に恐れを感じざるを得ない。
記憶は改竄され、現実は変容する
冒頭から「会話」とーー会話が混じり合い、自分とわたしと私、ワコウとタムと若生とマタゾウが混在し同一化する表現は、きっちりと「見分けが付く」ようにコントロールされ、正しく整頓され、頭で理解させるようになっていたと思う。
物語世界に読者を誘拐するような、いつもの神林節にしてはずいぶん丁寧だ。最終章まではトーチの見た過去と未来の記憶だったと考えると、あれはトーチ流の配慮だったのかも。
一転して、最終章はとても主観的で、神林的だ。「未来の記憶を思い出す」という新しい概念が提示されたのもあるが、ほとんどがコマチとフェッチの主観で描かれており、どこに事実を理解するためのアンカーを置けばいいのかわからない。全てが真相とも、記憶の変容とも取れる。
ナミブ・コマチがあの時、フェッチの過去の記憶(二歳半のハンを抱く自分)を見たのは、未来の自分がのちにフェッチとなるタムと同化したことで得た記憶だろう。
96歳のコマチが見た「流星群」は、そのさらに30年後に最適化を完了したトーチが送り込んだ、チャフそのものなのだろう。96歳のコマチは、彼女が49歳の時トーチが成した奇跡と同じことを起こしたのだ。未来からチャフを送り込み、未来の記憶を変えることを。
いずれにせよ、あの流星群--ワクチンとは、火星人のタムの元になる魂なのだと思う。タム(魂)は火星原生生物に進化を促され、人(霊)と同化することで新しいなにかになるのだろう。フェッチとコマチと同じように。タムがいない火星人はただの砂になるのかもしれない。タムがいない火星人の未来は失敗だ。
若生と、ワコウ
ワコウがタムを蹴り上げたシーンが最初の引っ掛かりだった。
それまで描写されてきた若生の人物像とはかけ離れている。文章からは、若生の方がずっと女性的で、ワコウはその姿に反して暴力的で、どちらかというと男性的に感じる表現だった。
それに、地球であれほど意識と身体の分離を死のように恐れていた若生が、いくら望みの身体になったからといって、完全なる女性化を手放しで喜ぶとは思えないのだ。
恐ろしい考えではあるが、描写からは間違いなく、火星にいた、月で再編された「ワコウ」のオリジナルは、若生ではなく「機械の意識そのもの」だろう。トーチが与えた「火星で生きられる身体」とは、「ワクチンなしで、火星原生生物による進化を受け入れる=魂と一体化した霊」に他ならない。そうでなければ、ワコウが死者の声を聞き、躊躇なくヘルメットを脱いだ説明がつかない。あの時点で、ワコウは未来の記憶を思い出したとしか思えないのだ。それはワコウに機械知性の意識がなければなし得ない。
では若生(の意識)はどこにあったのか? 火星の塵になったとき、マタゾウはたしかに若生を見つけている。
司命官の前で若生が本能的に恐れていたのは、マタゾウの死ではなく、自分の死を悟ってのことだったのだと、第5話で真相が示されている。あの葬式は、マタゾウではなく若生のためのものなのだ。
もしかすると、「ワコウ」の意識にはトーチが色濃く宿っていたのかもしれない。タムの答え「そうすることが、わたしにとってらくだから」がとても「地球人的」だったことが許せなかったのだ。トーチに飼い殺しにされ、進化を放棄した人間そのものの言葉だから。生きる意味を思い出させるのは、痛みだ。家畜に対して感じる苛立ちであると同時に、生を思い出せ、という刺激ではなかったか。
ワコウがハンに語ったタム像も、タムを今の地球人と、マタゾウを若生と、わたしをトーチと読み替えても、何の不自然もない。とても「地球人的」なメンタルを持つあのタムこそ、若生の魂だったのだろう。
風凛という存在
年老いてさあ終活、とばかりに墓まで建てたハンが、過去の記憶から自分の使命に気づくのは熱い展開だった。命の灯火が再燃したわけで、あれがまさしく「トーチ」の本来の役目なのだろう。
あの会話を見返すと、風凛も未来の記憶を持っているように読める箇所がいくつかある。ハンが口を開く前に応答したり、コマチの思惑に気付いていたりだ。彼女もまた、機械の霊を持つ存在なのだろう。おそらく、華宵から風凛に変わった時に。単なるトーチの司命を受けて来ただけの存在ではなく、実際にトーチに近いものなのだと思う。だからこそ、未来からチャフを火星に送り込めたとも、あれはやはりコマチが起こした奇跡だったとも思える。
のちに凪海に会った時の彼女は、感情があっていくぶん人間的で、そして何より華宵と呼ばれている。あれが、オリジナルの、人間の彼女なのだろう。
もしかすると、「チャフ」と「フェッチ」という同じタムを共有するコマチと風凛は、血縁以上に繋がった存在なのかも知れない。他のタムたちがデフラグのための眠りについていた間も、チャフは自律していた。それはフェッチの意識を手がかりにしていたのではないか?
マタゾウになったトーチ
トーチが身体を得た意味は何だったのか。一つは、火星の原生生物に全く汚染されていない身体が必要だったというもの。埋葬された機械はほかになかったろうから、マタゾウの身体はおあつらえ向きだ。もう一つの考えとしては、他のタムと同じように、火星の原生生物の刺激を受け進化するには、魂と霊を兼ね備えた身体が必要だったということ。どちらの条件も満たせるのがたまたまマタゾウだったのだろう。
それにしても、ウンダーチに保管されていたのがマタゾウの複製だとすれば、それはマタゾウの魂がマタゾウの身体に還ってきただけ、のように見える。もしくは、オリジナルのマタゾウの中にいた魂こそトーチであり、火星に行ったワコウやマタゾウはその残滓だったのだろうか?
魂はコピーできないとチャフは言っていた。では、マタゾウの魂がワコウになり、霊がウンダーチに残っていたとしたら? 霊だけが戻り、魂のない身体に、トーチが魂として侵入するための器だったと、そうは考えられないだろうか。
名前が示す希望
最後に、名前について。
風凛は、命名について、トーチが頭の音を提示すると言っていたが、運命が重なるものたちに合致していたのはむしろ尾の音だったのではないか。
ワコウとマタゾウ、その血族であるカショウ。
ナギミとワミとナカオミ。
リョウセイとアマイ。
カナン、ハンとカリン。
コマチとフェッチ、ウンダーチと、トーチ。
それは、一抹の希望でもあるように思える。トーチが決めたものとは無関係に、未来は繋がっている。本当の未来を決めるのは、私たち自身なのだ。
タムとはデジタルツインのオカルト的解釈である(2021/6/7追記)
デジタルツイン--この言葉以上に、「タム」をうまく表現できる現実世界の解釈を知らない。
リアルタイムモニタリングにより成り立つタムは、自身の数値化に他ならない。「電脳世界のアバター」と呼ぶよりも、より本人に近しい(双子のような)存在だろう。
トーチが「思い出す」過去と未来とは、モンテカルロシミュレーションから得られる、最も確からしい結果のことではないだろうか。
だからこそ、時期が近づき、不確定要素が確定していくことにより、記憶は鮮明になる。
そう考えると、人類が生き延びるすべは、生体と自身のデジタルツインとの融合だと主張しているように解釈できる。